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書籍紹介

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2018年6月

新刊

『日本の公教育 - 学力・コスト・民主主義』

中澤 渉|261ページ|950円
中公新書(2018年3月)

本書は教育社会学者の中澤 渉(なかざわ わたる)氏の著作です。

 氏の前作の『なぜ日本の公教育費は少ないのか: 教育の公的役割を問いなおす』において、わが国では、教育は私的なものであると考えられている。だから、教育費も個人が負担すべきであるとされ公教育費は増やすという声は起きにくい。しかし、教育には公共的な役割もあるはずであり、その観点から教育政策のグランドデザインを描き直さないといけない。そのためには教育だけでなく福祉など関連分野にも視野を広げることが必要であると、詳細なデータに裏付けられた実証的な議論を展開されました。

  4年後の著作である今回の推薦本の帯には「教育無償化、学力低下、待機児童など、近年の教育の論点は多岐にわたる。だが、公費で一部もしくは全体が運営される学校教育=公教育とはそもそも何のためにあるのか。実際に先進国の中で公教育費が少ない日本には、多くの課題が山積している。本書は、学校とそれを取り巻く環境を歴史的背景や統計などのエビデンスを通して、論じる。そこからは、公教育の経済的意義や社会的役割が見えてくるだろう。」とあります。

 そもそも近代国家における学校制度とは、というところから説き起こして、学校と格差・不平等を巡る議論を手際よく整理し、さらにエビデンスベースの議論に関して、スキルバイアス理論、シグナリング理論が展開されます。

 最後の第5章の「教育にできること、できないこと」では、労働市場との関係に目を向け、日本型雇用システムは個人の能力を生かしているのか?と問いかけ、専門性の強い高等教育とジェネラリスト重視の労働市場の「齟齬」を指摘し、そこからさらに先に進んで、学校という組織のあり方にも説き及ぶ、実に読み応えのある、価格880円+税はまさにお求め得の一冊です。(文責 中垣芳隆)

2018年5月

旧刊

『織田信長433年目の真実』

明智憲三郎|301ページ|1,296円
幻冬舎(2018年5月)

 父方の親戚の法事で酒宴がたけなわになると、1人の叔父が必ず「我が一族は森蘭丸の子孫だ」と独自の歴史談義を始める。森蘭丸は織田信長の小姓で“本能寺の変”で討ち死にしているので子孫が残っているはずはないのだが、幼いときから同じ話を何度も聞かされたためか“本能寺の変”に反応するようになった。その興味は、なぜ明智光秀は織田信長を討ったかである。数多くの小説、ドラマ、映画で描かれているがそこにはエンタテーメント性が含まれていることは否定できない。しかし本書にエンタテーメント性はない。「どのようにして明智光秀が本能寺に変に至ったか」その過程が、可能な限り一次資料をもとに綴られている。それは最高裁の裁判官が下級審の判断を参考にしつつも時間をかけて丹念に事実を積み上げていく作業に似ている。読んでいてこの感覚は経験したことがあるなと思った。それは、記録性を重視してまとめあげる論考の場合、一つの資料に頼るのではなく複数の資料で確認しつつ知られていなかった事実を確定して、それらの確定した事実や突き止めた事実を時系列につなぎ合わせることで、社会で知られていない規則性等にたどり着くことがある。本書の結論も驚くべき内容であった。本書だけでなく「本能寺の変421年目の真実」(文芸社文庫)も読まれればその思いを一層強くされると思う。研究者をめざす方にも丹念な調査手法を学ぶ意味で一読をお勧めしたい。(文責 森 均)

2018年4月

旧刊

『君たちはどう生きるか』

吉野源三郎|本文参照ページ|本文参照円
本文参照()

吉野源三郎・羽賀翔一(イラスト)|320ページ|1404円 マガジンハウス(2017年8月)

吉野源三郎|304ページ|1404円 マガジンハウス(新装版)(2017年8月)

吉野源三郎|339ページ|1048円 岩波書店(1982年11月)

 

昨年の夏以来、3冊の『君たちはどう生きるか』が快進撃を続けている。2017年8月の羽賀翔一による漫画版の出版がブームに火を付けた格好になるが、同時に発売された新装版と相まって、これまでに200万部を超える売れ行きで、新装版には「今、一番売れている名著」との帯がつけられている。漫画版、新装版を手に取らない人には岩波文庫版があり、文字通り全世代が読者として取り込まれている。実際、書店には、これら3版が隣り合わせに並んでいて、ベストセラーコーナーの占有率は圧巻である。

『君たちはどう生きるか』は80年前の1937年、第二次世界大戦に向かって暗雲が立ち込める状況下で、「日本少国民文庫」全16巻の第12巻として吉野源三郎が子どもたちのために書き下ろした一冊である。父を亡くした中学2年生の主人公が、叔父との対話を通して、日常の体験から様々なことを学んでいく。いじめや格差社会の問題が日常の中で素朴に語られていて素直な気持ちになれるし、コペルニクス的転回や万有引力の法則などの学問が正々堂々と、かつ中学生の主人公との関わりのなかで説かれていて、誰しもなんだか偉くなれたような気になる。

新装版にはジャーナリストの池上彰氏による前書きがあり、池上氏自身と本書との関わりから始まり、本書の現代的な意味合いを説いている。岩波文庫版の『君たちは』には巻末に丸山真男氏の回想が付されており、本書の普遍的な意味合いを説いている。

AIが人類の知能を脅かすまでに普及し、人間関係までもデジタル化してきた現代社会。それでも私たちは、素直に、真剣に、どう生きるかを考えてみたいと思っている。「名著」である。

(文責 東條加寿子)

旧刊

学級経営は「問い」が9割

澤井陽介|214ページ|1850円
東洋館出版社(2016年3月)

学級運営、授業運営は教員の腕の「見せどころ」である。本書は主に小学校の学級運営をテーマに書かれているが、クラス担任が存在する中学校や高校においても参考になるところは多いかもしれない。小学生の子育て真最中の親という立場からも興味深く読むことができ、また授業のダイナミクスを考える上では大学の授業にも応用できることがあると感じた。
第1章の「学級づくりは集団づくり、よりよい集団が個を輝かせる」では、問いへの答えをはじき出させることではなく、考え続けられる問いを与えることが重要である、と書かれている。答えを出すことがゴールであるように思われがちだが、その後にも続いていくような問いかけこそが子供たちには必要なのである。第2章「子供の思考をアクティブにする『問い』の指導」では、子供たちに投げかける様々な問いの提案が示されており、実際に筆者が実践した問いかけも例に含まれている。忘れ物をした児童に対して、また、毎日行う掃除への取り組みに対して、教師は児童に「どうしたらいいか考えなさい」と言いがちである。このような一方的な問いではなく、忘れ物をする原因は何なのか、どうしたら忘れなくなるのか、また、なぜ毎日掃除をしているのか、掃除をさぼる仲間がいるグループはどうしたらいいのか、といった問いかけをすることで子供たちに考えさせることができる。第3章と第4章では、それぞれの子供が学級や授業において活躍できる居場所を作ることの大切さ、いじめへの取り組み、高学年の女子に対する声掛けなどが解説されている。そして終章は、著者が教員として最後に担任をしたクラスについてのエピソードで締めくくられている。いわゆる「荒れた」クラスを担任することになり、1年間のクラスへの関わりが報告されている。この章には「教育は、理屈だけでは語れない」というタイトルが付けられており、体当たりでそのクラスの立て直しを行った様子が描かれている。
教師が児童ひとりひとりをみることはもちろん必要であるが、学級という集団として児童をまとめ、集団の良さを個人へ還元できるような学級運営の可能性を考えさせる一冊である。
(文責 大塚朝美)

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