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書籍紹介

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2018年7月

旧刊

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』

新井紀子|287ページ|1,500円
東洋経済(2018年2月)

 若者の読書離れや読解力の低下が指摘されている中、「教科書が読めない子どもたち」というフレーズに興味を持った。新井氏は自身が参加したTED Talkの “Can a robot pass a university entrance exam?” において、AIロボット「東ロボくん」が大学受験に挑み、その結果、東ロボくんは上位20%に位置し、日本の6割以上の大学に合格できる力があるという報告をした。
 本書では、巷で囁かれている「将来AIが主導権を握り、人類はAIに支配されるのではないか」といった噂について完全に否定している。将来、AIが神になることも人類を滅ぼすこともない。第一にAIはコンピュータ、すなわち計算機であるので、文章を「読む」ことはできないからである。しかしながら、その「文章が読めない」AIが日本の子どもたちを差し置いて上位20%に入る力を示したとはどういうことだろうか。最も興味深かったのは第3章「教科書が読めない-全国読解力調査」であった。日本の中高生を中心に実施された調査では、教科書や新聞に書かれている文章の意図や意味が正確に理解できない子どもたちの現状が明らかとなった。これからの世の中では、AIが代行する様々な仕事以外の仕事が人間に残された仕事となるであろう。残された仕事には「高度な読解力と常識、加えて人間らしい柔軟な判断力」(p.171)が必要とされるが、現在の子どもたちの読解力調査の結果からは将来を楽観できない。英語を教える教員として英語力のベースは母語における国語力にあることは重々承知しているが、読解力をはじめとする言語運用能力や判断力を英語という外国語を学びながらいかに養成するか、という問題提起としても捉えられる一冊である。(文責 大塚朝美)

2018年6月

新刊

『日本の公教育 - 学力・コスト・民主主義』

中澤 渉|261ページ|950円
中公新書(2018年3月)

本書は教育社会学者の中澤 渉(なかざわ わたる)氏の著作です。

 氏の前作の『なぜ日本の公教育費は少ないのか: 教育の公的役割を問いなおす』において、わが国では、教育は私的なものであると考えられている。だから、教育費も個人が負担すべきであるとされ公教育費は増やすという声は起きにくい。しかし、教育には公共的な役割もあるはずであり、その観点から教育政策のグランドデザインを描き直さないといけない。そのためには教育だけでなく福祉など関連分野にも視野を広げることが必要であると、詳細なデータに裏付けられた実証的な議論を展開されました。

  4年後の著作である今回の推薦本の帯には「教育無償化、学力低下、待機児童など、近年の教育の論点は多岐にわたる。だが、公費で一部もしくは全体が運営される学校教育=公教育とはそもそも何のためにあるのか。実際に先進国の中で公教育費が少ない日本には、多くの課題が山積している。本書は、学校とそれを取り巻く環境を歴史的背景や統計などのエビデンスを通して、論じる。そこからは、公教育の経済的意義や社会的役割が見えてくるだろう。」とあります。

 そもそも近代国家における学校制度とは、というところから説き起こして、学校と格差・不平等を巡る議論を手際よく整理し、さらにエビデンスベースの議論に関して、スキルバイアス理論、シグナリング理論が展開されます。

 最後の第5章の「教育にできること、できないこと」では、労働市場との関係に目を向け、日本型雇用システムは個人の能力を生かしているのか?と問いかけ、専門性の強い高等教育とジェネラリスト重視の労働市場の「齟齬」を指摘し、そこからさらに先に進んで、学校という組織のあり方にも説き及ぶ、実に読み応えのある、価格880円+税はまさにお求め得の一冊です。(文責 中垣芳隆)

2018年5月

旧刊

『織田信長433年目の真実』

明智憲三郎|301ページ|1,296円
幻冬舎(2018年5月)

 父方の親戚の法事で酒宴がたけなわになると、1人の叔父が必ず「我が一族は森蘭丸の子孫だ」と独自の歴史談義を始める。森蘭丸は織田信長の小姓で“本能寺の変”で討ち死にしているので子孫が残っているはずはないのだが、幼いときから同じ話を何度も聞かされたためか“本能寺の変”に反応するようになった。その興味は、なぜ明智光秀は織田信長を討ったかである。数多くの小説、ドラマ、映画で描かれているがそこにはエンタテーメント性が含まれていることは否定できない。しかし本書にエンタテーメント性はない。「どのようにして明智光秀が本能寺に変に至ったか」その過程が、可能な限り一次資料をもとに綴られている。それは最高裁の裁判官が下級審の判断を参考にしつつも時間をかけて丹念に事実を積み上げていく作業に似ている。読んでいてこの感覚は経験したことがあるなと思った。それは、記録性を重視してまとめあげる論考の場合、一つの資料に頼るのではなく複数の資料で確認しつつ知られていなかった事実を確定して、それらの確定した事実や突き止めた事実を時系列につなぎ合わせることで、社会で知られていない規則性等にたどり着くことがある。本書の結論も驚くべき内容であった。本書だけでなく「本能寺の変421年目の真実」(文芸社文庫)も読まれればその思いを一層強くされると思う。研究者をめざす方にも丹念な調査手法を学ぶ意味で一読をお勧めしたい。(文責 森 均)

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