森田金之助(1877—1960)

 ウヰルミナ女学校初の日本人校長で、初の男性校長でもあった。のちに院長も兼任した。
 東京で生まれ、1900(明治33)年に明治学院神学部を卒業し、牧師となった。1908年渡米、ニューヨークのオバーン神学校に入学。1911年に卒業して、大阪神学院教授兼教頭に就任。同時に天満教会を牧会した。
 森田牧師はかねてから、自身も尊敬していたA.D.ヘール宣教師を敬愛する人たちの会である「ヘール会」の世話をしていたが、同宣教師召天後、西教会で開かれた追悼会での説教が契機となり、同席したウヰルミナ女学校関係者から校長就任を熱心に要請された。森田牧師は、これを機に聖書研究学者としての道を断念して、校長就任を受諾したという。こうして1925年(大正14)にウヰルミナ女学校の校長となり、以後、天に召されるまでの35年間を女子教育のために献げ、小阪教会(東大阪市)の牧師としての働きも終生続けた。
 個性豊かな教育者、気骨のある自由人で、人々に強い印象を与えた。軍国主義や戦争が嫌いで、軍人のような丸刈りは拒否。服装も軍人調の国民服を着ず、敗戦間近まで背広を着用していた。
 戦後は、戦災で全焼した校舎の復興に力を注ぎ、生徒・職員とともに整地や材木運びなどの労働に、連日汗を流した。「キリストの十字架の救いを生徒たちが本当にわかってほしい」と祈り続け、校長・院長としてキリストの学校での務めに一生を捧げた。

 1962(昭和37)年3月、森田金之助記念館として大講堂兼体育館が竣工した。