教育研究センターとは・・・

 キリスト教学校として130年余の歴史をもつ学院の個性・文化・知を、確かめ、共有し、創造する。そして、これからの大阪女学院の教育を切り拓いていく。
  そのような働きの基点として、従来の学院史資料室(略称・史料室)の役割にとどまらず、中学校・高等学校・短期大学・大学・大学院の各部門と協働しつつ、また、卒業生の方々、地域の方々ともつながりながら、多様な活動の実をふくらませていきたいと願っています。
 

 私立学校には3つの特徴があるといわれます。それは、「創設者を持つ」「理念を持つ」「かかわる人々によって支えられる」。私学にとって、歴史が大切であることを示しています。
  歴史を大切にするということは容易なことではありません。本学院のように戦災で戦前の資料をほとんど失った学校はなおさらです。その時々の教育、取り組んできた働き、思いなどが、確かに記され、保存され、しっかりと語り継がれていくことがいかに重要であるか。これまでの学院の歩みの中で強く感じられてきたことです。
  そして、それは未来につながる働きでもあることを、明確に意識しなければなりません。歴史を大切にするということは、単に過去をふりかえり、懐かしむことではありません。
 

  過去は「変わらない、変えられない」ものであり、そこには「変えてはならない」ものも刻まれています。そして、大阪女学院の教育の未来は、時代や社会の変化への鋭い認識を持ちながら、「変わらないもの、変えてはならないもの、変わらなければならないもの」を厳しく見すえ、新たに創っていくものではないかと考えます。それらを共有し、日々の働きに反映し、発信していくことこそが、今後ますます重要になります。
 

 そのような学院の教育のあり方、取り組みを研究する、その場が「教育研究センター(Wilmina Archives & Research Center)」です。したがって、学院史資料室も、その研究に連動するものであり、単なる古い資料の保管室ではありません。また、学院史資料室は、歴史資料の収集・保存といった第一義的な役割はもとより、可能な限り正確な事実・情報が蓄積された機関として、日常的に活用される場でもあってほしいと願っています。
 

 教育研究センターは、このような働きを、部門を越えた連携と恊働によって、豊かに展開していきます。

センター案内リーフレット

2016年9月リニューアルしました。 

 


〔榎と東雲の丘〕

 「古き榎(えのき)の茂れる丘に 朝日を受けてそびえたつ われらの大阪女学院……」。校歌の一節です。

 図書館西側の植込みにある榎は、学院のもう一つのルーツである大阪一致女学校が1888(明治21)年にこの地に移転してきた時、すでに大きく茂っていました。1945(昭和20)年の戦災で焼かれましたが、朽ちることなく翌年には新芽を出し、学院の歩みとともに再び豊かに茂り、今にいたっています。

 「丘」と表すのは、大阪女学院は上町台地の東の一角にあるからです。かつて「東雲(しののめ)町」という町名だったころがありました。「東雲」とは、闇から光へと移行する夜明けの東の空にかかる雲。昇る太陽や光につながる言葉であり、「光あれ。」という旧約聖書の創世記第1章冒頭の言葉にもつながります。また、大阪女学院という校名にも、大阪の地で「光の子」として世に輝いてほしいという願いがこめられています。

 学院の最も古い“財産”の一つであり、東雲の丘でたくましく生き続ける榎。志を高く持ち、学院の「これまで」を大切に守り、「これから」を創造していく教育研究センターの、ホームページの「顔」として表しました。