〔榎と東雲の丘〕

 「古き榎(えのき)の茂れる丘に 朝日を受けてそびえたつ われらの大阪女学院……」。校歌の一節です。

 図書館西側の植込みにある榎は、学院のもう一つのルーツである大阪一致女学校が1888(明治21)年にこの地に移転してきた時、すでに大きく茂っていました。1945(昭和20)年の戦災で焼かれましたが、朽ちることなく翌年には新芽を出し、学院の歩みとともに再び豊かに茂り、今にいたっています。

 「丘」と表すのは、大阪女学院は上町台地の東の一角にあるからです。かつて「東雲(しののめ)町」という町名だったころがありました。「東雲」とは、闇から光へと移行する夜明けの東の空にかかる雲。昇る太陽や光につながる言葉であり、「光あれ。」という旧約聖書の創世記第1章冒頭の言葉にもつながります。また、大阪女学院という校名にも、大阪の地で「光の子」として世に輝いてほしいという願いがこめられています。

 学院の最も古い“財産”の一つであり、東雲の丘でたくましく生き続ける榎。志を高く持ち、学院の「これまで」を大切に守り、「これから」を創造していく教育研究センターの、ホームページの「顔」として表しました。