1884年~1944年

1878(明治11年)年10月 創設者の来阪

  • A.D.ヘール(Rev.Alexander Durhum Hail)が、米国カンバーランド長老教会の宣教師として来阪、一年前に来阪していた弟J.B.ヘール(Rev.John Baxter Hail)と協力してキリスト教伝道を開始。
 

1884(明治17)年1月 「ウヰルミナ女学校」開校

  • 大阪府西区の川口外国人居留地にて、ウヰルミナ女学校(Wilmina Girls' School、維耳美那女学校)が、カンバーランド長老教会のミッションスクールとして1月7日に開校。創設者は外国宣教局の教育事業責任者A.D.ヘール宣教師。校長は前年5月着任の教育宣教師A.M.ドレナン(Mrs.America Missouri Drennan)。生徒数は3名。
 

1886(明治19)年9月 「大阪一致女学校」開校

  • もう一つのルーツである大阪一致女学校が、米国北長老教会のミッションスクールとして、川口外国人居留地に開校。創設者・校長は教育宣教師のA.E.ガーヴィン(Miss A.E.Garvin)。生徒数は14名。
 

1888(明治21)年1月 現在の玉造校地の始め

  • 大阪一致女学校が西成郡清堀村(現在の校地)に移転。〔校地の変遷〕参照
 

1892(明治25)年4月

  • 大阪一致女学校は浪華(なにわ)女学校と改称。
 

1899(明治32)年8月 文部省「訓令12号」発令

  • 文部省は訓令12号を発令し、法令による学校においては特定の宗教に基づく教育を禁止。ウヰルミナ女学校、浪華女学校はともに上級学校への入学資格を失うが、キリスト教教育を堅持。
 

1904(明治37)年4月 ウヰルミナ女学校と浪華女学校の合併

  • 校地・校舎は浪華女学校のものを用いることとなり、ウヰルミナ女学校は川口居留地から移転。校名はウヰルミナ女学校を継承。校長にはウヰルミナ女学校の校長A・E・モルガン(Miss Agnes E・Morgan)が就任。本科の修業年限は5年、生徒数は150余名。
 

1907(明治40)年3月

  • ウヰルミナ女学校と浪華女学校の合併により、同窓会も連合して、ウヰルミナ女学校としての第1回同窓会が開催された。
 

1909(明治42)年11月

  • 創立25周年記念祝会を開催。
 

1912(明治45)年3月

  • 文部省告示91号により文部省指定ウヰルミナ女学校となる。〔校名の由来〕参照
 

1914(大正3)年

  • 3月 創立30周年記念祝会を開催。
  • 12月 理事会が組織され、カンバーランド長老教会外国宣教局(ミッションボード)から経営権を移譲。
 

1924(大正13)年9月

  • 大阪YWCAに、大阪基督教女子青年学院夜間女学部が各種学校として開校。
    (のちの大阪女学院第二高等学校)〔もう一つの学校〕参照
 

1927(昭和2)年9月

  • ウヰルミナ女学校本科をウヰルミナ女学校高等女学部と改称。〔校名の由来〕参照
 

1936(昭和11)年4月

  • ウヰルミナ女学校高等女学部専攻科(家庭科)を開設。
 

1937(昭和12)年6月

  • 扇町夜間女学校(大阪基督教女子青年学院夜間女学部)が、日本で最初の文部大臣指定認可の夜間女学校となる。
 

1938(昭和13)年4月

  • 財団法人ウヰルミナ女学校認可。経営権のみならず財産も宣教師社団から財団法人に移る。


 

1940(昭和15)年10月 「ウヰルミナ」の名を「大阪女学院」に

  • ウヰルミナ女学校高等女学部を、「大阪女学院高等女学部」と改称。校名変更記念式が行われた。〔校名の由来〕参照
 

1941(昭和16)年1月

  • 財団法人名を大阪女学院と変更。
 

1944(昭和19)年

  • 3月 扇町夜間女学校が高等女学校令により「恵星高等女学校」と改名する。
  • 4月 大阪女学院高等女学部は中等学校令により「大阪女学院高等女学校」となる。