2023年2月・3月

風が強く吹いている
三浦しをん|659ページ|1,045円新潮社

 全国の高校生長距離ランナーであれば、関東の大学に入学し箱根駅伝に出場することは、大きな夢であろう。正月の風物詩ともいえる箱根駅伝。1月2日から3日にかけて朝からずっとテレビで中継され、高い視聴率を誇る。カモシカのような体型のランナーたちが、所属する大学への母校愛に燃え、一本の襷に様々な思いを込めて素晴らしいスピードで駆け抜けていく。沿道には多くの観客が応援する旗がたなびき、全国的な人気となっている。書店を訪れたとき、その箱根駅伝をテーマにした小説であることを知り思わず手に取った。
 主人公は高校時代に天才ランナーとして将来を期待された蔵原走。長い距離を速く走ることに関しては素晴らしい才能を持っていたが、自分の感情をコントロールすることができずに、暴力事件を起こして表舞台から消える。その後陸上では無名の大学に入学して清瀬灰二と出会い、同じアパートの住人たちと箱根駅伝を目指すことになる。彼らの多くは長距離走とは無縁で、しかも既定ぎりぎりの10人しかいないのにどうやって出場するのか、ありえないと思ってしまう。それでも走は仲間たちとともに夢を追い、襷をつないでいくことで自分以外の人間を信じ、長距離ランナーの強さとは何かということに気づいていく。
読み進めていくうちに、東京大手町から箱根芦ノ湖までのコースの細かい風景描写や、ランナーたちの呼吸の苦しさや体の痛み、仲間への信頼感や走ることの喜びといった心身両面の変化の緻密な表現に引き込まれる。この10人を応援するだけでなく、いつの間にか自分が実際に駅伝を走っているような気持ちにさせられた。
 一つの目標に向かって、かけがえのない仲間たちとこの上もなく濃密な一年を送った。失うものは何もなく、ただ真っ直ぐに突き進んだ。それは若者たちの特権なのかもしれない。そんなことを考えながら659ページを一気に読み終えた。爽快感が残る、お薦めの一冊である。

(文責 富永誠)

2022年12・1月

大学における学習支援への挑戦-リメディアル教育の現状と挑戦-
日本リメディアル教育学会監修|255ページ|2800円+税 ナカニシヤ出版

この本の副題は、「リメディアル教育の現状と課題」となっているが、タイトルの英訳にリメディアルという言葉はない(Building a System of Developmental Education at Universities and Colleges in Japan)。リメディアル教育と聞くと、基礎学力の不足する学生、大学の授業が理解できない学生を救済する教育と捉えられることが多いかもしれない。しかし実際にリメディアル教育がカバーする範囲はもっと広く、英訳の通り、Developmental Educationと称するのがふさわしいだろう。
 当書では、Chapter 2「プレースメントテスト」、Chapter 3 「入学前教育」、Chapter 4「初年度教育・導入教育」、Chapter 5 「国語リメディアル教育と大学生のための日本語教育」、Chapter 6 「リメディアル教育」(英語・数学が中心)、Chapter 7 「学習支援センター」と、6つの範囲がカバーされている。Chapter 1は大学に対するリメディアル教育に関するアンケート結果(1148大学を対象に2011年に実施)であり、このデータをもとに、学習支援の現状と課題に対する提案、将来への展望などについて解説されている。
 Chapter 3の「入学前教育」によると、各大学が実施している科目は、多い順に、英語(50%)、日本語(49%)、数学(39%)となっている。日本語というのは、日本人大学生を対象としたものである。入学前に日本語教育が行われる背景には、「ゆとり教育や入試の多様化などの影響、また小・中・高校生の読書量の低下、IT技術の発達によるコミュニケーションスタイルの変化など」(p. 144)の複合的要因がある。特に最後の要因は深刻である。教育のICT化は教育の「効率化」を進めたが、同時に対面でのコミュニケーションも活性化させていかなければならない。もちろんこれは国語能力だけでなく、外国語やほかの科目にも当てはまる。
 その活性化の一端を担うのが、Chapter 7で紹介されている各大学の学習支援センターではないだろうか。「学生たちの学習活動そのものを支援する」(p.219)という点でリメディアル教育には欠かせない存在である。各大学により、規模、スタッフ、実施状況などは異なるが、それぞれの大学が学習支援センターにかけるエネルギーや工夫が伝わってきて大変興味深い。ちなみに、大阪女学院大学ではSelf Access & Study Support Center(愛称サッシー)がこれに当てはまる。ここの常駐スタッフやライティングセンターのスタッフの存在は、授業について行けない、伸び悩んでいるといった問題を抱える学生の強い味方となっている。 
 当書のデータがとられた時期は2011年で、10年以上経過している。この間、各大学はいかに学習支援を変化させたのだろうか。入試が多様化し様々な学生が混在する大学では、リメディアル(Developmental)教育の必要性はますます高くなり、さらなる充実が求められている。2011年当時の支援体制は、どのような結果を生み出したのか。情報化が進む教育界においてどのような調整が必要になってきているのか。このよ うな問の答えを検討する上で、この書が貴重な資料になることは間違いないだろう。

(文責 山本淳子)

2022年10・11月

Appleのデジタル教育
ジョン・カウチ、ジェイソン・タウン|325頁|1,700円 かんき出版

 アップルの教育部門初代バイス・プレジデントであるカウチ氏とハーバード大学のタウン氏の共同執筆である本書のタイトルから、執筆の目的はアップルの教育分野への貢献を宣伝しているような印象を受けるが、実際はもっと広い視野からデジタル時代の新しい教育の在り方について提言する内容であった。これからの教育の主役である「デジタルネイティブ」のための教育とは一体どうあるべきなのか。人生の途中からデジタル時代に突入した教える側の私たちがすべきことは何なのか、と問いかけられる。簡単に情報が手に入る子供たちにとって、「暗記」をベースにした学習はもはや十分ではなく、それらの情報を使っていかに考え(Critical thinking)、創造する力(Creative thinking)を身に付けるかが課題である。また子供たちの可能性を信じ、彼らのスイートスポット(情熱と才能が出合う場所)を彼ら自身が見つけられれば、モチベーションが生まれ、自ら楽しみながら学ぶことができる。従来の紙ベースの教科書をデジタルに置き換えるだけでは教育改革は十分ではなく、子供や大人をも夢中にするロールプレイングゲームのようなワクワク感がこれからの学習の場面には必要ではないか。デジタルと教育の融合にはまだまだ課題は多いが、本書を読み終わり、もっと色々とチャレンジしてみよう!と思えた。

(文責 大塚朝美)

2022年8・9月

硫黄島戦記 玉砕の島から生還した一兵士の回想
川相 昌一|123ページ|1800円+税光人社

 戦記物は美化された内容や勇ましい内容の記述が多いと思う。遺族から資料提供を受けた作者が遺族の想いを慮って自然とそうなるのかもしれない。そのような気持ちからか一兵卒の著作を読むようになった。しかしそんな著作はたいがい古本屋の片隅で埃をかぶっている。この著作も月に1度か2度訪れる古本屋の片隅に無造作に積まれていた。
 茶色に変色した表紙を開いてみると鮮やかなセピア色の風景が飛び込んできた。それは硫黄島だった。硫黄島は南北8キロ、東西6キロの小さな島。1945年2・3月に20,129人の日本兵が戦死し、28,686人のアメリカ兵が死傷した激戦地である。その中で生還した日本兵は1,033名。その内の1名が筆者であった。単純に計算すると日本兵の生還率は5%に満たない。
 さて、捕虜になった筆者は、グアム、ハワイ、アメリカ本土の収容所を転々とさせられながら各地でアメリカ人の陽気さと合理的行動に触れるのであるが、望郷の念、残してきた妻への思いが激しい戦闘、厳しい捕虜生活に筆者を耐え続けさせた。このことに疑う余地はない。
 敗戦後、1946年1月に日本に帰ってきた著者は帰国の手続きを終えると「故郷に戻ると死んだことになっていますから」と言う担当者の言葉を後に列車に乗る。
 故郷に着くとすでに自分の葬式は終わっており、お墓もできていた。そしてあれほど思い続けてきた妻がいないのである。筆者の両親が未亡人とされた妻を不憫に思って、なんと筆者の弟に娶らせていたのであった。
 筆者の驚きは想像を絶する。両親は元に戻そうと提案するが、筆者はガンとして受け付けなかった。召集令状で引き離された妻と筆者。同じ思いを再び妻にさせたくなかったである。
 戦争に苛酷なまで翻弄される筆者、そして妻、親族・・・。
”平和の尊さ”を痛いほど感じさせるとともに批評を許さない現実がそこにはあった。
 本著作はもともと400字詰め原稿用紙約130枚に書かれたもので、作家の大野芳氏が筆者にたどり着いて見せてもらったことが出版への契機となった。大野氏がどのようにして筆者にたどり着いたか?その経過にこの著作の2つ目の意味がある。後半30ページに及ぶ解説に詳細に述べられているが、大野氏の真実を求める執念と迫力はすさまじい。その原動力は何か?これ以上は書くまい。
 最後に、筆者と大野氏を結びつけたものは、大野氏が筆者のコメントが紹介された新聞記事を見つけ遺骨調査団の名簿を入手したことを書き添えたい。筆者は帰国後20回以上硫黄島に渡っていた。二人の思いは二人が出会う2006年9月20日以前から実は重なっていたのである。

(文責 森 均)

2022年 6・7月

英語学習の科学
中田達也・鈴木祐一編|230ページ|2200円研究社

この本の目的は第二言語習得研究に基づいて、効果的な英語学習法を紹介することである。第二言語習得研究とは「外国語はどのような仕組みで学習されるのか」という理論的な問いと「外国語はどのように学習、または指導したら良いか」という実践的な問いを探求する学問である。この研究分野は1970年代に生まれた比較的若い学問であるため、外国語学習のメカニズム、効果的な学習法・指導法に関する全ての謎が明らかになった訳ではないが、新しく分かってきたことも多い。但し、第二言語習得研究で明らかになった知見の多くが専門書や論文で発表されるため、研究成果が一般の英語学習者に十分伝わっていないのが現状である。その一方で、世間には「効果的な英語学習法」に関する書籍やウェブサイトで溢れているが、これらの多くは単なる個人の体験や俗説が書かれているに過ぎず、最新の研究成果に反している内容も少なくない。このような現状を打破するために、第二言語習得研究の最前線で活躍されている11人の専門家が第二言語習得理論についての予備知識がない読者を念頭に執筆したのが本書である。
 本書の構成はまず第1章で効果的な英語学習を行う上での大原則が紹介されているので、この章を最初に読むことが薦められている。その後は読者の興味のある章を読めるようになっている。第2章〜4章は英語力の基礎(第2章語彙、第3章文法、第4章発音)となっており、第5章〜8章はいわゆる英語の4技能(5章リスニング、6章リーディング、7章スピーキング、8章ライティング)になっている。そして第9章〜12章では英語学習に影響する個人差要因や環境(9章記憶力、適正、性格の影響、10章動機付け、学習スタイルなど、11章年齢の影響、12章留学経験の影響)について解説している。
 全ての章で「専門家に聞いてみました」というタイトルとよく問われる質問が書かれており、その質問に専門家がわかりやすく答える形で展開されているので大変読みやすくなっている。読みやすいだけでなく、最新の研究成果も紹介されているので、効果的な英語学習法について知りたいと願う読者だけでなく、第2言語習得を本格的に研究したい大学生や大学院生にもお勧めの内容になっている。個人的には、現役の教員の先生にも自分が授業で行っている指導法が少なくとも最新の研究成果に反していないかを考えることができるという点でお勧めできる内容になっている

(文責 松尾 徹)

2022年 4・5月

100歳まで読書
轡田隆史|261ページ|1200円+税円三笠書房(2019年11月)

 本書は難解な専門用語を用いず、読書の面白さを紹介している。現代人の活字離れに警鐘を鳴らすわけではない。それどころか、軽快でユーモラスな文章を用いて読書の魅力を伝えている。「本は最後まで、人生のよき相談相手となってくれる」と冒頭から読書の価値を提示している。すなわち、本は何らかの問いに対する「質問相手」なのである。どんな時も、どこにいても、本は答えを見つける手助けをしてくれる。

 また、一日の読書の始まりとして、新聞を挙げている。しかし、新聞を取っていない家庭も今や珍しくはない。それなら、図書館や書店で地域の新聞を入手してみよう。地域の新聞を読むことから、地元、日本、世界へと視野の拡大が可能となる。

 さらに、本書の特長として、多岐にわたる書評が挙げられる。『古事記』『万葉集』『源氏物語』といった古典から、宮沢賢治、夏目漱石、森鴎外といった文豪にまで幅広く触れている。そして、永井荷風、井伏鱒二、村上春樹といった作家についても述べている。その上、詩集、辞典、時刻表というジャンルにも言及し、それぞれの活用法を示している。したがって、本書を読めば幅広い分野、作家に対する興味が高まるであろう。言い換えれば、手当たり次第に本を手に取る「雑読」を薦めている。一方、昔読んだ本をもう一度読む「再読」もまた新鮮である。人生経験を積んだ後再読すれば、初めて読んだ当時の記憶を思い出させてくれるのに違いない。これは、旧友と再会することにも似ている。このように、日常生活において本の存在が身近になることで、自然と読書習慣が定着するであろう。

 スマートフォンが主流となり、本離れが問題視される現代であるからこそ、読書の意義を見直すべきである。もはや、スマートフォンの優れた点は否めない。しかし、それだけでは情報過多に陥るであろう。真実を見抜くには、能動的に「読むこと」が必要である。「本を読まない人は「こころ」から老い始める」と本書が指摘しているように、読書によって脳の働きは健康に保たれる。改めて、たとえ一日短時間でも、継続して本を読みたいと実感させられる一冊であった。

(文責 仲川 浩世)

2021年2・3月

ほんとうにいいの?デジタル教科書
新井紀子|70ページ|580円+税円岩波ブックレット(2012年12月)

 デジタル教科書の是非を問うタイトルであるが、教育のデジタル化全般について一石を投じる内容になっている。GIGAスクール構想により、コンピュータ(タブレット)1人1台が実現している今、「デジタル」がもたらす教育効果と弊害について考えるきっかけを与えてくれる。

 私自身は、仕事に関係する書籍に関しては選択肢があれば電子書籍を選ぶ。必要に応じて文字の大きさを変えられるし、しおり機能や検索機能は便利で活用しやすい。音声を機械に読み上げさせることもできる。こういった機能は、著者の言うとおりさまざまな障害を持つ子どもには福音となる。しかし、子どもによって適した学習スタイルは異なる。紙の本に書き込んだり付箋を貼ったりしながら覚えることが得意な子どもや、デジタルではかえって学習がうまく進まない子どももいるだろう。デジタル化が新たな弱者を生むこともあるという著者の警告には耳を傾けなければならない。

 視力への悪影響や肩のこりなど身体面への負担も無視できないが、そういったことよりも懸念されることはデジタル教科書の「面積」の狭さであると著者は述べる。情報を上下に重ねたデジタル教科書では、紙のメディアのように複数の資料を机に並べて、一覧できる状態で学ぶことができない。「重層的なパースペクティブは、教科書や年表・地図帳など複数のタイプの異なる情報が同時に視野に入ったまま「行ったり来たり」することで培われる」(p.15)。そうやって学ぶことが得意な子どもたちから、デジタル教科書は「よりよく学ぶ機会」を奪うことになると著者は懸念する。

 学びのゲーム化も進んでいる。計算問題や文法の正誤問題を楽しくゲームを通して解くことができれば、学習意欲も高まるだろう。しかし「明確な即時フィードバック」を得ることに慣れた子どもたちが、結論がすぐに出ない議論に違和感を覚え、文字で書かれた文章の読解から刺激を受けにくくなるとする著者の主張は、教育に携わる私たちだけでなく、デジタル化を推進する社会全体への注意喚起にもなっていると感じる。

 インターネット社会でデジタルメディアをうまく活用できる能力を子どもたちに身につけさせることは学校教育の使命だということに疑いはない。同時にデジタルメディアが万能ではないことも十分認識しなくてはならない。アナログメディアとどうバランス良く組み合わせていくかという視点も必要になろう。技術革新が必ずしも万人に恩恵をもたらすものではないということに改めて気づかせてくれる小冊子である。

(文責 山本 淳子)

2021年12・1月

未来の学校のつくりかた
税所篤快|299ページ|1,800円教育開発研究所(2020年6月)

 本書は5つの教育現場の取材をもとに、それぞれの取り組みが未来の教育、つまり2030年の学校づくりへのヒントやモデルにつながるのではないか、といった視点で様々な学校の形が報告されている。ドキュメンタリー映画「みんなの学校」の舞台となった大阪の大空小学校、東京都杉並区の地域と学校づくりへの取り組み、通信制の私立高校「N高」、長野県上田市の侍学園、岩手県大槌の教育復興への取り組み、がその5つである。どの現場の報告においても子供たちに真摯に向き合い、どんな子供も大きな愛で受け止めていく教育の原点が感じられ、胸が熱くなる。中でも最新の技術を駆使した未来の教育の参考となるだろうN高の取り組みは注目に値する。何事も「させられている感」がない学校に、というN高の副校長のことばには考えさせられる。児童、生徒、学生主体の学校を目指していても、ともすればこちら側から多くを与え、管理する教育になりがちである。また、生徒や学生側も与えられることや管理されることに慣れてしまい、自ら行動することをあきらめてしまいがちである。教育の主人公である学習者が主体的に学べる学校づくりには工夫と忍耐力が必要となり、それらのヒントが多く含まれているのが本書だろう。

(文責 大塚朝美)