2024年2月・2024年3月

きのうのオレンジ
藤岡 陽子|336ページ|803円集英社文庫

 この世に生を受けたもの全てが最後は死と向き合うことになる。死に直面したときに人は何を思うのだろうか。
 筆者はいつ頃までだったか、死に対する恐怖を強く感じていた。いつ頃というのは記憶が曖昧であるが、自分の子どもが自立した頃ではないかと思う。今自分が死んだら残された家族はどれほど悲しむか、辛い思いをしないだろうか、生活していけるのかと考えると、「死は恐ろしい」という概念が強く染みついてしまったのである。
 「きのうのオレンジ」は、家族を大切にし、仕事にやりがいを感じ、真面目に生きてきたごく普通の青年が主人公である。彼は33歳という若さでがんを患い、余命宣告をされ 「何故俺が・・・」と絶望的な気持ちになる。
 そんな時、支えてくれたのは家族や友人たちである。死を迎えるにあたり、気持ちの整理をつけたいと次第に前向きになり、最後まで強く生きていこうとする姿が描かれている。
 「死」は全てが終わってしまうということではなく、新しい世界への旅立ちであり、それは決して不幸なもの、辛いものではないというメッセージであると言える。「死」への恐怖を乗り越える勇気を手に入れるために、彼は一度命を失いかけた中学校時代の自分に再度問いかけてみるのである。
 読み終えて感じたことは、病気と闘い最後を迎えるいわゆる闘病ものではなく、「死」というものを前向きに捉え、そのために日々力強く生きていくことが大切なのだと考えさせられる傑作である。是非ご一読いただきたいと思う。

(文責 富永 誠)

2023年12月・2024年1月

平和創造のための新たな平和教育 ―平和学アプローチによる理論と実践-
高部優子・奥本京子・笠井 綾 編|154頁|2,200円|法律文化社

 平和教育の理論や実践の概要、そして授業やワークショップで使うことができるプログラム集が紹介されている。日本平和学会の平和教育プロジェクト委員会のメンバーが現実を批判的に考察し、平和想像力を養う実践の中から生まれた著作である。研究者のみならず平和教育を行っている、あるいはこれから行おうとしている教育者が進むべき道筋を示してくれる。
 従来の平和教育では戦争体験の悲惨さから平和の大切さを訴えかけるという「テンプレート」化(p.9)が問題視されているため、本書では直接的暴力のない「消極的平和」に加えて、直接的平和、構造的平和、文化的平和から成り立つ「積極的平和」(p.12) へのアプローチを模索し、行動に移すことを提言している。その観点から私が特に参考にしたいのは第Ⅰ部「平和教育のためのファシリテーション・アプローチ」(第2章)と第Ⅳ部の「平和教育の実践」である。平和教育において「教育」を実践するのは学びを推進するファシリテーターであり、「ときとして情報や知識を提供しつつも、ときとして学習者の議論を深化させる」(p. 21) 重要な役割を担う。しかも常に中立的で公正である必要がある。私もこのようなファシリテーターを目指していきたいと願う。英語教員を志す教職課程の学生にも、本書にある植民地問題や人権問題などをテーマに平和教育のファシリテーターを経験してもらおうと計画している。
 混沌とした世の中で平和創造を願うすべての人にお勧めの一冊である。

(文責 山本淳子)

2023年10月・11月

学び合う場のつくり方:本当の学びへのファシリテーション
中野民夫|198頁|2,100円岩波書店

ファシリテーションは大学の学びにどのように生かされるのだろうか。学習者主体のアクティブラーニングが注目される中、筆者が実際に大学の教壇に立つ経験を通して、大学の授業におけるファシリテーションの可能性を示しており、考えるきっかけを与えてくれる。第1章では、実際の大学で行われた少人数クラスと大教室での授業について取り上げ、具体的な進め方や学生の様子などが描かれている。第2章では、ファシリテーションの基礎スキルとして、①場づくり、②グループサイズ、③問い、の3つを挙げ、さらに④見える化、⑤プログラムデザイン、の2つを加えた5つのスキルを示している。第3章では、学校の教育の中心である教室を出て、より広い視点で自分・自然・社会とつながることをテーマに話が展開する。ファシリテーションとはあくまでも方法であって、目的ではない。人が自分を含めた人や自然、そして社会とのつながりを見直し、本当の学びへの道を探ることが目的である。第4章は、本当の学びとは何かと題して、最後に筆者の思いを場面ごとにまとめている。ファシリテーションと聞けば、会議の進行を思い浮かべる人も多いだろう。しかし、そのスキルはもっと様々な場面に活用することができそうだ。

(文責 大塚朝美)

2023年8月・9月

競輪選手100人の軌跡~私の競輪記者としての半世紀の歩み~
井上和巳|213ページ|1600円あざみエージェント

この著作には 100人の競輪選手の活躍ぶりと引退後の人生が簡潔に描かれている。 人生は一度であるが、この著作によって100通りの生き方を知ることができるのである。
ファイルナンバー1~100として紹介されている選手たちの軌跡は飽きさせない。いずれも笑いあり涙あり正に悲喜こもごもの内容であり、競輪を詳しく知らない私にとっても十分に理解できるものであった。
この本を知ったきっかけは同級生が経営する喫茶店に寄った時のことであった。同級生の奥様から「あちらのお座りの方、元競輪選手ですよ」 と言われ、声をかけた。私が勤務していた高校では自転車競技部があり多くの競輪選手を輩出していたし、私が担任をもったクラスの中にも自転車競技部をめざして入学してきた生徒がおり、朝5時に家を出て(もちろん競輪用の自転車で)、岸和田競輪場まで走り、練習後に授業の始まる時刻までに学校まで走る。放課後はそれぞれ種目別に練習する。そんな生活ぶりを知っていたからである。
元競輪選手に、その高校に勤務していた当時の自動車競技部顧問の先生の名前を告げるとご存知であった。すぐにスマホを取り出しその先生と一緒に写っている画像を見せてくださった。その方は、ファイルナンバー27大津初雄(おおつ かずお)氏だった。
現役当時、毎日練習のため200キロを走る大津選手は「プロ野球選手でも乗っていないような乗用車が欲しい」という夢があった。20代後半に夢を実現する。当時1000万円あれば立派な家を購入できたが、1000万円以上の外国車を購入し「まるで家が走っているようだ」と周囲を驚かせたという。「良いものを持てば、それに見合う収入を求め、より以上に練習に熱が入る」と・・・。結果、さらに強くなっていく・・・。
先日もお会いした時、コロナワクチンを接種した夜に焼肉パーティを開き、(体調に異変をきたして)大変な思いをしたと言われていた。豪快さは今も変わらない。
さて、最後にこの著作の筆者のことも紹介したい。速記者としてスポーツ誌に採用されて12年後、34歳になって競輪担当の記者となった筆者は、雑誌に「私の見た100人の選手たち」という連載記事を執筆することになった。著者が85歳になり、取材した競輪選手たちのこの連載記事をまとめられたのが本著作である。そのエネルギーの源は何か?この著作のあるページの記述にその秘密が隠されていると直感した。
たった一度の人生、自分自身の価値観の重点をどこに置いて生き抜くのか? 読み進むにつれてその問いが深く静かに迫ってくるそんな著作である。

(文責 森 均)

2023年6月・7月

英語は決まり文句が8割 今日から役立つ「定型表現」学習法
中田達也|237ページ|990円講談社現代新書

 英語を使いこなすために文法と単語の習得が不可欠であることに異論を唱える人はほとんど居ないだろう。だが、単語という場合1つ1つの語の事を指している場合が多い。しかしながら、最近の研究で語彙は1つ1つの単語よりもむしろ複数の語の塊で使われる場合がかなり多いことが明らかになっている。例えば、hold your horses(待ちなさい・我慢しなさい)give me a break (勘弁してくれ)などである。このような複数の語からなる熟語や決まり文句は定型表現と呼ばれ、英語母語話者の書いたり話したりした言葉のうち、5割から8割程度がこの表現で構成されているという推計もある。
本書は第2言語語彙習得とコンピューターを使った外国語学習を専門とする著者が定型表現を学ぶ利点とその学習方法を伝えるために執筆したものである。現代新書として出版されているので、平易な言葉で書かれているため第2言語習得理論などを学んでいない一般の読者にも読みやすい内容となっているが、だからと言って、入門的な情報にとどまらず、最新の第二言語語彙習得の研究結果を踏まえた内容になっている。
 第1章では英語学習において定型表現の知識がなぜ大切なのかを定型表現を学習することの8つの利点についてこれまでの研究を基に詳しく論じている。
 2章では定型表現を分類(例えば、イディオム、コロケーション、句動詞など)した上で、
それぞれの特徴について詳しく説明している。英語にどのような定型表現があるかを学ぶことで、定型表現を効率的に学習できるようになると論じている。
 3章では、定型表現を効果的に身につけ、4技能を同時に伸ばす学習法が紹介されている。具体的にはコーパスに代表されるオンライン上のツールを使いこなす方法や多読・多聴を通して、定型表現に意味のある文脈の中で何度も繰り返し触れることによって自然に習得する方法などである。
 本書はこれまで文法と単語を一生懸命勉強してきたのになかなか英語が上達しないと思っている英語学習者にもお勧めであるが、あるテキストの中にどのような定型表現がどれくらい使われているかを調査することができるオンライン上のツールが豊富に紹介されているので、定型表現を専門に研究している研究者にも有益な本である。

(文責 松尾 徹)

2023年4月・5月

日本最後のシャーマンたち
ミュリエル・ジョリヴェ著、鳥取絹子訳|349ページ|2,200円草思社

 科学技術が進歩している一方、「死者との対話」に救いを求める人々の数は、未だ少なくはない。日本だけではなく、世界のあらゆるところで、超自然現象は発生し、取り沙汰されている。本書は、ベルギー生まれで、日本学者でもあるジャーナリストが、北は北海道から南は沖縄まで、「シャーマン」と呼ばれている人々を訪ね歩き、その肉声を綴ったものである。
 その代表例が、東北地方の恐山の「イタコ」である。「イタコ 」は死者と対話する能力(口寄せ)を持つ。彼女達の大半が、病気や事故で盲目となった女性であり、その理由として、貧しい食料事情が一因であるとも言われている。決して、優遇された身の上ではなく、死に関する仕事をしているということだけで、社会的にひどい差別をも受けてきた。
 「シャーマン」は人を助け、適切な方向へと導くという点では、教師と共通の部分もあると予想していたが、本著を読み、それは大きな誤解であると知った。彼女達には「シャーマン」となる前に、命懸けで修養を積むことが要求される。精神世界・あの世との架け橋の役割を担うために、血の滲むような厳しい鍛錬を行うのである。教室で知識を提供し、学びの場を通して生徒を育成する教師とは次元が異なる。全国各地の「シャーマン」に共通して言えることは、苦しみに捉われた人々を救い、生きる道を見出すことに寄与していることである。
 様々な宗教において、「シャーマン」と同様の役割を果たす人々の肉声が記載されていることも、本著の特長である。たとえ宗教や民族学に精通していなくても、著者の取材した内容を基に、日本各地に及ぶ彼女達の実態が独自の視点で描かれているため、取材現場を訪問してみたいという気にさえもさせられた。
 読み終わった後、どうしてこの本の書評を書く気になったのかを再考してみた。誰もが、声を聴き、もう一度笑顔で話したいと思う故人を胸に抱いているものである。その故人に対する思い入れが強ければ強いほど、「シャーマン」の存在は貴重なものである。学術書として位置づけられるが、各地の「シャーマン」の由来、概要を簡潔に知ることが可となったため、一般の読者にもお薦めの一冊である。

(文責 仲川浩世)

2023年2月・3月

風が強く吹いている
三浦しをん|659ページ|1,045円新潮社

 全国の高校生長距離ランナーであれば、関東の大学に入学し箱根駅伝に出場することは、大きな夢であろう。正月の風物詩ともいえる箱根駅伝。1月2日から3日にかけて朝からずっとテレビで中継され、高い視聴率を誇る。カモシカのような体型のランナーたちが、所属する大学への母校愛に燃え、一本の襷に様々な思いを込めて素晴らしいスピードで駆け抜けていく。沿道には多くの観客が応援する旗がたなびき、全国的な人気となっている。書店を訪れたとき、その箱根駅伝をテーマにした小説であることを知り思わず手に取った。
 主人公は高校時代に天才ランナーとして将来を期待された蔵原走。長い距離を速く走ることに関しては素晴らしい才能を持っていたが、自分の感情をコントロールすることができずに、暴力事件を起こして表舞台から消える。その後陸上では無名の大学に入学して清瀬灰二と出会い、同じアパートの住人たちと箱根駅伝を目指すことになる。彼らの多くは長距離走とは無縁で、しかも既定ぎりぎりの10人しかいないのにどうやって出場するのか、ありえないと思ってしまう。それでも走は仲間たちとともに夢を追い、襷をつないでいくことで自分以外の人間を信じ、長距離ランナーの強さとは何かということに気づいていく。
 読み進めていくうちに、東京大手町から箱根芦ノ湖までのコースの細かい風景描写や、ランナーたちの呼吸の苦しさや体の痛み、仲間への信頼感や走ることの喜びといった心身両面の変化の緻密な表現に引き込まれる。この10人を応援するだけでなく、いつの間にか自分が実際に駅伝を走っているような気持ちにさせられた。
 一つの目標に向かって、かけがえのない仲間たちとこの上もなく濃密な一年を送った。失うものは何もなく、ただ真っ直ぐに突き進んだ。それは若者たちの特権なのかもしれない。そんなことを考えながら659ページを一気に読み終えた。爽快感が残る、お薦めの一冊である。

(文責 富永誠)

2022年12・1月

大学における学習支援への挑戦-リメディアル教育の現状と挑戦-
日本リメディアル教育学会監修|255ページ|2800円+税 ナカニシヤ出版

この本の副題は、「リメディアル教育の現状と課題」となっているが、タイトルの英訳にリメディアルという言葉はない(Building a System of Developmental Education at Universities and Colleges in Japan)。リメディアル教育と聞くと、基礎学力の不足する学生、大学の授業が理解できない学生を救済する教育と捉えられることが多いかもしれない。しかし実際にリメディアル教育がカバーする範囲はもっと広く、英訳の通り、Developmental Educationと称するのがふさわしいだろう。
 当書では、Chapter 2「プレースメントテスト」、Chapter 3 「入学前教育」、Chapter 4「初年度教育・導入教育」、Chapter 5 「国語リメディアル教育と大学生のための日本語教育」、Chapter 6 「リメディアル教育」(英語・数学が中心)、Chapter 7 「学習支援センター」と、6つの範囲がカバーされている。Chapter 1は大学に対するリメディアル教育に関するアンケート結果(1148大学を対象に2011年に実施)であり、このデータをもとに、学習支援の現状と課題に対する提案、将来への展望などについて解説されている。
 Chapter 3の「入学前教育」によると、各大学が実施している科目は、多い順に、英語(50%)、日本語(49%)、数学(39%)となっている。日本語というのは、日本人大学生を対象としたものである。入学前に日本語教育が行われる背景には、「ゆとり教育や入試の多様化などの影響、また小・中・高校生の読書量の低下、IT技術の発達によるコミュニケーションスタイルの変化など」(p. 144)の複合的要因がある。特に最後の要因は深刻である。教育のICT化は教育の「効率化」を進めたが、同時に対面でのコミュニケーションも活性化させていかなければならない。もちろんこれは国語能力だけでなく、外国語やほかの科目にも当てはまる。
 その活性化の一端を担うのが、Chapter 7で紹介されている各大学の学習支援センターではないだろうか。「学生たちの学習活動そのものを支援する」(p.219)という点でリメディアル教育には欠かせない存在である。各大学により、規模、スタッフ、実施状況などは異なるが、それぞれの大学が学習支援センターにかけるエネルギーや工夫が伝わってきて大変興味深い。ちなみに、大阪女学院大学ではSelf Access & Study Support Center(愛称サッシー)がこれに当てはまる。ここの常駐スタッフやライティングセンターのスタッフの存在は、授業について行けない、伸び悩んでいるといった問題を抱える学生の強い味方となっている。 
 当書のデータがとられた時期は2011年で、10年以上経過している。この間、各大学はいかに学習支援を変化させたのだろうか。入試が多様化し様々な学生が混在する大学では、リメディアル(Developmental)教育の必要性はますます高くなり、さらなる充実が求められている。2011年当時の支援体制は、どのような結果を生み出したのか。情報化が進む教育界においてどのような調整が必要になってきているのか。このよ うな問の答えを検討する上で、この書が貴重な資料になることは間違いないだろう。

(文責 山本淳子)

2022年10・11月

Appleのデジタル教育
ジョン・カウチ、ジェイソン・タウン|325頁|1,700円 かんき出版

 アップルの教育部門初代バイス・プレジデントであるカウチ氏とハーバード大学のタウン氏の共同執筆である本書のタイトルから、執筆の目的はアップルの教育分野への貢献を宣伝しているような印象を受けるが、実際はもっと広い視野からデジタル時代の新しい教育の在り方について提言する内容であった。これからの教育の主役である「デジタルネイティブ」のための教育とは一体どうあるべきなのか。人生の途中からデジタル時代に突入した教える側の私たちがすべきことは何なのか、と問いかけられる。簡単に情報が手に入る子供たちにとって、「暗記」をベースにした学習はもはや十分ではなく、それらの情報を使っていかに考え(Critical thinking)、創造する力(Creative thinking)を身に付けるかが課題である。また子供たちの可能性を信じ、彼らのスイートスポット(情熱と才能が出合う場所)を彼ら自身が見つけられれば、モチベーションが生まれ、自ら楽しみながら学ぶことができる。従来の紙ベースの教科書をデジタルに置き換えるだけでは教育改革は十分ではなく、子供や大人をも夢中にするロールプレイングゲームのようなワクワク感がこれからの学習の場面には必要ではないか。デジタルと教育の融合にはまだまだ課題は多いが、本書を読み終わり、もっと色々とチャレンジしてみよう!と思えた。

(文責 大塚朝美)

2022年8・9月

硫黄島戦記 玉砕の島から生還した一兵士の回想
川相 昌一|123ページ|1800円+税光人社

 戦記物は美化された内容や勇ましい内容の記述が多いと思う。遺族から資料提供を受けた作者が遺族の想いを慮って自然とそうなるのかもしれない。そのような気持ちからか一兵卒の著作を読むようになった。しかしそんな著作はたいがい古本屋の片隅で埃をかぶっている。この著作も月に1度か2度訪れる古本屋の片隅に無造作に積まれていた。
 茶色に変色した表紙を開いてみると鮮やかなセピア色の風景が飛び込んできた。それは硫黄島だった。硫黄島は南北8キロ、東西6キロの小さな島。1945年2・3月に20,129人の日本兵が戦死し、28,686人のアメリカ兵が死傷した激戦地である。その中で生還した日本兵は1,033名。その内の1名が筆者であった。単純に計算すると日本兵の生還率は5%に満たない。
 さて、捕虜になった筆者は、グアム、ハワイ、アメリカ本土の収容所を転々とさせられながら各地でアメリカ人の陽気さと合理的行動に触れるのであるが、望郷の念、残してきた妻への思いが激しい戦闘、厳しい捕虜生活に筆者を耐え続けさせた。このことに疑う余地はない。
 敗戦後、1946年1月に日本に帰ってきた著者は帰国の手続きを終えると「故郷に戻ると死んだことになっていますから」と言う担当者の言葉を後に列車に乗る。
 故郷に着くとすでに自分の葬式は終わっており、お墓もできていた。そしてあれほど思い続けてきた妻がいないのである。筆者の両親が未亡人とされた妻を不憫に思って、なんと筆者の弟に娶らせていたのであった。
 筆者の驚きは想像を絶する。両親は元に戻そうと提案するが、筆者はガンとして受け付けなかった。召集令状で引き離された妻と筆者。同じ思いを再び妻にさせたくなかったである。
 戦争に苛酷なまで翻弄される筆者、そして妻、親族・・・。
”平和の尊さ”を痛いほど感じさせるとともに批評を許さない現実がそこにはあった。
 本著作はもともと400字詰め原稿用紙約130枚に書かれたもので、作家の大野芳氏が筆者にたどり着いて見せてもらったことが出版への契機となった。大野氏がどのようにして筆者にたどり着いたか?その経過にこの著作の2つ目の意味がある。後半30ページに及ぶ解説に詳細に述べられているが、大野氏の真実を求める執念と迫力はすさまじい。その原動力は何か?これ以上は書くまい。
 最後に、筆者と大野氏を結びつけたものは、大野氏が筆者のコメントが紹介された新聞記事を見つけ遺骨調査団の名簿を入手したことを書き添えたい。筆者は帰国後20回以上硫黄島に渡っていた。二人の思いは二人が出会う2006年9月20日以前から実は重なっていたのである。

(文責 森 均)

2022年 6・7月

英語学習の科学
中田達也・鈴木祐一編|230ページ|2200円研究社

この本の目的は第二言語習得研究に基づいて、効果的な英語学習法を紹介することである。第二言語習得研究とは「外国語はどのような仕組みで学習されるのか」という理論的な問いと「外国語はどのように学習、または指導したら良いか」という実践的な問いを探求する学問である。この研究分野は1970年代に生まれた比較的若い学問であるため、外国語学習のメカニズム、効果的な学習法・指導法に関する全ての謎が明らかになった訳ではないが、新しく分かってきたことも多い。但し、第二言語習得研究で明らかになった知見の多くが専門書や論文で発表されるため、研究成果が一般の英語学習者に十分伝わっていないのが現状である。その一方で、世間には「効果的な英語学習法」に関する書籍やウェブサイトで溢れているが、これらの多くは単なる個人の体験や俗説が書かれているに過ぎず、最新の研究成果に反している内容も少なくない。このような現状を打破するために、第二言語習得研究の最前線で活躍されている11人の専門家が第二言語習得理論についての予備知識がない読者を念頭に執筆したのが本書である。
 本書の構成はまず第1章で効果的な英語学習を行う上での大原則が紹介されているので、この章を最初に読むことが薦められている。その後は読者の興味のある章を読めるようになっている。第2章〜4章は英語力の基礎(第2章語彙、第3章文法、第4章発音)となっており、第5章〜8章はいわゆる英語の4技能(5章リスニング、6章リーディング、7章スピーキング、8章ライティング)になっている。そして第9章〜12章では英語学習に影響する個人差要因や環境(9章記憶力、適正、性格の影響、10章動機付け、学習スタイルなど、11章年齢の影響、12章留学経験の影響)について解説している。
 全ての章で「専門家に聞いてみました」というタイトルとよく問われる質問が書かれており、その質問に専門家がわかりやすく答える形で展開されているので大変読みやすくなっている。読みやすいだけでなく、最新の研究成果も紹介されているので、効果的な英語学習法について知りたいと願う読者だけでなく、第2言語習得を本格的に研究したい大学生や大学院生にもお勧めの内容になっている。個人的には、現役の教員の先生にも自分が授業で行っている指導法が少なくとも最新の研究成果に反していないかを考えることができるという点でお勧めできる内容になっている

(文責 松尾 徹)

2022年 4・5月

100歳まで読書
轡田隆史|261ページ|1200円+税円三笠書房(2019年11月)

 本書は難解な専門用語を用いず、読書の面白さを紹介している。現代人の活字離れに警鐘を鳴らすわけではない。それどころか、軽快でユーモラスな文章を用いて読書の魅力を伝えている。「本は最後まで、人生のよき相談相手となってくれる」と冒頭から読書の価値を提示している。すなわち、本は何らかの問いに対する「質問相手」なのである。どんな時も、どこにいても、本は答えを見つける手助けをしてくれる。

 また、一日の読書の始まりとして、新聞を挙げている。しかし、新聞を取っていない家庭も今や珍しくはない。それなら、図書館や書店で地域の新聞を入手してみよう。地域の新聞を読むことから、地元、日本、世界へと視野の拡大が可能となる。

 さらに、本書の特長として、多岐にわたる書評が挙げられる。『古事記』『万葉集』『源氏物語』といった古典から、宮沢賢治、夏目漱石、森鴎外といった文豪にまで幅広く触れている。そして、永井荷風、井伏鱒二、村上春樹といった作家についても述べている。その上、詩集、辞典、時刻表というジャンルにも言及し、それぞれの活用法を示している。したがって、本書を読めば幅広い分野、作家に対する興味が高まるであろう。言い換えれば、手当たり次第に本を手に取る「雑読」を薦めている。一方、昔読んだ本をもう一度読む「再読」もまた新鮮である。人生経験を積んだ後再読すれば、初めて読んだ当時の記憶を思い出させてくれるのに違いない。これは、旧友と再会することにも似ている。このように、日常生活において本の存在が身近になることで、自然と読書習慣が定着するであろう。

 スマートフォンが主流となり、本離れが問題視される現代であるからこそ、読書の意義を見直すべきである。もはや、スマートフォンの優れた点は否めない。しかし、それだけでは情報過多に陥るであろう。真実を見抜くには、能動的に「読むこと」が必要である。「本を読まない人は「こころ」から老い始める」と本書が指摘しているように、読書によって脳の働きは健康に保たれる。改めて、たとえ一日短時間でも、継続して本を読みたいと実感させられる一冊であった。

(文責 仲川 浩世)

2021年2・3月

ほんとうにいいの?デジタル教科書
新井紀子|70ページ|580円+税円岩波ブックレット(2012年12月)

 デジタル教科書の是非を問うタイトルであるが、教育のデジタル化全般について一石を投じる内容になっている。GIGAスクール構想により、コンピュータ(タブレット)1人1台が実現している今、「デジタル」がもたらす教育効果と弊害について考えるきっかけを与えてくれる。

 私自身は、仕事に関係する書籍に関しては選択肢があれば電子書籍を選ぶ。必要に応じて文字の大きさを変えられるし、しおり機能や検索機能は便利で活用しやすい。音声を機械に読み上げさせることもできる。こういった機能は、著者の言うとおりさまざまな障害を持つ子どもには福音となる。しかし、子どもによって適した学習スタイルは異なる。紙の本に書き込んだり付箋を貼ったりしながら覚えることが得意な子どもや、デジタルではかえって学習がうまく進まない子どももいるだろう。デジタル化が新たな弱者を生むこともあるという著者の警告には耳を傾けなければならない。

 視力への悪影響や肩のこりなど身体面への負担も無視できないが、そういったことよりも懸念されることはデジタル教科書の「面積」の狭さであると著者は述べる。情報を上下に重ねたデジタル教科書では、紙のメディアのように複数の資料を机に並べて、一覧できる状態で学ぶことができない。「重層的なパースペクティブは、教科書や年表・地図帳など複数のタイプの異なる情報が同時に視野に入ったまま「行ったり来たり」することで培われる」(p.15)。そうやって学ぶことが得意な子どもたちから、デジタル教科書は「よりよく学ぶ機会」を奪うことになると著者は懸念する。

 学びのゲーム化も進んでいる。計算問題や文法の正誤問題を楽しくゲームを通して解くことができれば、学習意欲も高まるだろう。しかし「明確な即時フィードバック」を得ることに慣れた子どもたちが、結論がすぐに出ない議論に違和感を覚え、文字で書かれた文章の読解から刺激を受けにくくなるとする著者の主張は、教育に携わる私たちだけでなく、デジタル化を推進する社会全体への注意喚起にもなっていると感じる。

 インターネット社会でデジタルメディアをうまく活用できる能力を子どもたちに身につけさせることは学校教育の使命だということに疑いはない。同時にデジタルメディアが万能ではないことも十分認識しなくてはならない。アナログメディアとどうバランス良く組み合わせていくかという視点も必要になろう。技術革新が必ずしも万人に恩恵をもたらすものではないということに改めて気づかせてくれる小冊子である。

(文責 山本 淳子)

2021年12・1月

未来の学校のつくりかた
税所篤快|299ページ|1,800円教育開発研究所(2020年6月)

 本書は5つの教育現場の取材をもとに、それぞれの取り組みが未来の教育、つまり2030年の学校づくりへのヒントやモデルにつながるのではないか、といった視点で様々な学校の形が報告されている。ドキュメンタリー映画「みんなの学校」の舞台となった大阪の大空小学校、東京都杉並区の地域と学校づくりへの取り組み、通信制の私立高校「N高」、長野県上田市の侍学園、岩手県大槌の教育復興への取り組み、がその5つである。どの現場の報告においても子供たちに真摯に向き合い、どんな子供も大きな愛で受け止めていく教育の原点が感じられ、胸が熱くなる。中でも最新の技術を駆使した未来の教育の参考となるだろうN高の取り組みは注目に値する。何事も「させられている感」がない学校に、というN高の副校長のことばには考えさせられる。児童、生徒、学生主体の学校を目指していても、ともすればこちら側から多くを与え、管理する教育になりがちである。また、生徒や学生側も与えられることや管理されることに慣れてしまい、自ら行動することをあきらめてしまいがちである。教育の主人公である学習者が主体的に学べる学校づくりには工夫と忍耐力が必要となり、それらのヒントが多く含まれているのが本書だろう。

(文責 大塚朝美)