新五千円札に想う

富永 誠

更新日:2024年8月20日

 2024年7月、新しい紙幣の流通が始まった。新紙幣に使われている肖像は、一万円札が近代日本資本主義の父と呼ばれる実業家の渋沢栄一、千円札が近代日本医学の父と呼ばれる細菌学者の北里柴三郎で納得したが、五千円札の津田梅子については意外だと感じた。女子教育のパイオニアであり津田塾大学の創設者ということは知っていたが、新紙幣の肖像に使われるほど特筆すべき業績を残した人物であることは理解していなかった。近年ドラマや本でも取り上げられて、その激動の人生と女子教育の充実にかけた情熱に心を打たれた。 
  梅子は6歳の時に留学生として渡米し、初等・中等教育を受けた。10年間の留学生活を終えて帰国して女学校の英語教師となるが、24歳の時に再度渡米し、学んだ大学で日本の女性教育の後進性を痛感した。日本では女性が高等教育を受ける機会がなく、女性が専門職に就くチャンスもない。その改善のために帰国して東京に「女子英学塾」を開校した。これが現在の津田塾大学の前身である。英語教育を中心に女性に学問の機会を確保し、女性の社会進出の基盤を築いた業績は高く評価されている。
   梅子は、女子英学塾の開校式で、以下のような言葉を残している。
  「教育には物理的な環境以上に、教師の熱意と学生の意欲が重要」
  「人にはそれぞれ個性があるため、教育も個性に合わせて行うべきである」
  「学生は広い視野を持つ女性「all round women」を目指して欲しい」
   また、授業ではしっかりと予習をした上で、自分の意見をはっきり述べることを求めた。
驚くほど大阪女学院の教育方針と似通っている。宣教師のヘール兄弟は日本の女性に教育を受ける権利を保障し、社会で活躍する女性を育てるため、大阪女学院の前身である「ウイルミナ女学校」を設立した。英語教育を中心に、多様性を大切に、積極的にチャレンジする女性を育てることを目標とした。多くの授業で課題が出され、予習をした上で授業に臨んだ。津田塾大学は大正10年の関東大震災で全焼し、現在の土地に校舎を新設したが、大阪女学院も第二次世界大戦の大阪空襲で校舎が全焼し、卒業生たちが寄付を募り再建したことも共通点である。東京でも大阪でも先人たちの血のにじむような努力が、今の女子教育の質的向上や社会的地位の向上につながっているのである。
  とはいえ、日本の女性政治家の割合は16%で世界148位(グローバルノート・国際統計・国別統計サイト)、管理職の割合も12,7%(厚生労働省「令和4年度雇用均等基本調査」)と先進国の中では非常に低い水準となっている。更なる女性の地位向上のためには本学で学んだ学生たちが、社会で活躍してもらわなければならない。新五千円札を手にした時は、人生をかけて女子教育の向上に尽力した津田梅子のスピリットを思い出してほしい。

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