教員のキャリア発達のもとは?
森 均
更新日:2022年2月2日

 前回(第130号 2021年12月)では、教職に関わって「夢のある仕事?」と題し様々な事柄を述べた。今回は期限付き講師として採用された学校の仕組みに戸惑いながらも、その過程で、教員相互の評価には厳しいものがあること、教員のキャリア発達の根底に必要な“あるもの”があることに気づいたこと等を述べたい。
 さて、産業用半導体メーカー勤務2年目の終盤の1月のことである。3月末に退職して、今までの貯金をもとに暮らしながら大阪府公立学校教員採用試験の受験勉強をしようと思っていた矢先、大学の恩師から「ある府立工業高校に期限付き講師として勤務しないか。」と電話をいただいた。半年間の雇用で、問題がなければもう半年間雇用される。また仕事の内容は教諭と同じとのことであった。私は期限付き講師という職があることを知らなかったが、とにかく教えることができるということですぐに承諾した。
 半導体メーカーを辞めて4月1日から工業高校に勤め始めると戸惑うことばかりだった。設置されている3つの工業学科毎に職員室があり、普通科教員のための職員室もあった。それに普通科の教科毎に、また3つの工業学科の様々な実習室にも必ず準備室があった。
 教員も様々で、校長、教頭、教諭、実習助手以外に私のような期限付き講師のほか非常勤講師も多かった。また事務室には、事務部長、主査、主事といった行政職員や他に技術員もいたし、図書館には司書が進路指導部室にはなぜか教務補助員がいた。
 それに輪をかけたのは会議の内容である。説明は「昨年どおり実施します。」がほとんどでさっぱりわからなかった。
 主任の呼び方もバラバラで、教務主任を教務部長とも呼んだり・・・、進路指導主事を進路指導部長とも呼んだり・・・。学科長や分掌長で構成されるマネジメントチームのような運営委員会のほか個別の様々な委員会もあった。非常に複雑だったのですぐにはわからなかった。
 一方、私の持ち時間の半数は、教育課程の変更によって今年度で終わる科目であった。そのようなことを考える余裕もなく、授業をしっかり行うことに集中していた。今年度で役目を終える旧式のコンピュータや器具をだましだまし直しながらである。それでも、いろいろな教員がいることだけはよくわかった。教材研究には熱心だがそれ以外のことには全く興味を示さない人、部活動の顧問に人生をかけている人、次々仕事が舞い込みいつも忙しく働いている人、授業以外に全く仕事が任されない人・・・。
 学校は企業に比べて人材を育成する仕組みが未熟で取り組みも希薄であるものの、教員相互の評価は案外厳しいものがあると思った。またその評価基準は漠然としていて教員集団からの信頼感ではないかと感じた。教員集団からの信頼を得ている先生ほど忙しく働いているように見えたからである。信頼されているからこそいろいろな仕事を頼まれ、故に忙しさが増していく。忙しさの中でミスしても信頼感が期待感を生んでいてミスを帳消しにしていく。その過程で効率よくミスの少ない仕事のやり方を体得されているようで根底には切れ目のない”目配り”、”気配り”があった。他方で教員集団から信頼感や期待感が得られなかった教員は長年勤めていても経験年数が増えていくだけで職能開発やキャリア発達ということには無縁の存在に近かった。
 ある日のこと、仕事を終えて更衣室で着替えていると、いつも忙しくしている教務主任が来て自身も着替えながら私に次のように言ったことを覚えている。「教員はな。20代で教科指導のプロ、30代で学級経営のプロ、40代で学年経営や分掌経営のプロになってやな。あとは校長をめざすか、一教師として生きるかの選択や。」と。
 でもこのとき、私はメーカーを2社経験しすでに30歳になっていた。その後、42歳迄の13年間に、教科指導、部活動指導、学級経営、学校運営、分掌経営と重層的に経験していくことになるとは当時思いもよらなかったのである。(続く)

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