忘れられない修学旅行

富永 誠

更新日:2026年9月10日

 

 同志社国際高等学校の研修旅行で生徒らを乗せた船が転覆し、船長と生徒の二人が亡くなられた。高等学校の教諭として長年勤務した筆者は、亡くなられた生徒やご遺族のお気持ちを考えると、胸が締め付けられるような思いであった。ご冥福をお祈りするとともに、何故このような事故が起こったのか原因を明確にし、再発防止を徹底する必要がある。
 ふと、筆者が勤務していた高等学校での修学旅行の経験を思い出した。2009年のことである。修学旅行は生徒達の一生の思い出となる最大の行事である。学校として準備段階から万全の態勢で取り組み、内容を充実させることはもちろん、何より安全に引率し事故なく無事に帰宅させる責任が伴う。
 行先は東北地方で、当時は農家に分宿して田舎生活を体験する企画が主流であったので、3泊4日の日程で1・2泊目は農家に分宿、3泊目は安比高原のホテルに学年全員で宿泊し、現地での様々なアクティビティを楽しむ行程であった。
 1クラス男女各2班、9クラスで36分宿させる計画であった。学校としては初めての企画である農家分宿が本当に可能かどうか不安だったので、当時委託した旅行業者にあれこれと尋ねたところ、明確な回答もなく、これまで何度も引率しているので大丈夫ですよ、という調子であった。360人もの生徒を引率する責任があるのにそんなずさんな計画を進めるわけにはいかない。業者任せにせず、学校主体でしっかりと計画を練り上げていかなければならないと感じた。
 出発前に大きな不安が二つあった。一つは新型インフルエンザの国内流行である。大阪から海外に研修に出かけていた府立高校の生徒達が東京で発熱し、帰阪できずに足止めされ大きな問題となったのである。もう一つは、修学旅行期間中に大型の台風が東北地方を縦断するという予報であった。災害時の危機対応については、校長をはじめ引率教員全員で対応するマニュアルを作成し、学校の本部(教頭)、大阪府教育委員会とも連絡を密にしながら出発当日を迎えた。
 農家の方々は本当に良くしてくださった。一つの農家に10人程お預かりいただき、2泊という短い時間ではあったが生徒達は田舎の暮らしを満喫し、農作業や酪農体験に汗を流し、地元の食材を使った美味しい料理やデザートなど最高のおもてなしをいただいた。本部の私の元に各方面を巡回している先生方から生徒達が大いに楽しんでいる様子は伝わってきたが、1本の電話で状況が一変した。
 先生から、2人の生徒が発熱しているのだという。農家の方は大阪の高校生が新型インフルエンザに罹患したことをニュースで知っておられたので、「変な病気をはやらせてもらっては困る、引き取ってほしい。」と言われているとのこと。他の宿でも、発熱で病院に連れて行くと新型インフルエンザではないかと言われるなど、集約するとその数は全体で6農家20人ほどになることが分かった。本部で検討し、とりあえず発熱生徒は隔離して、3日目の朝の迎えまで何とか預かっていただきたいとお願いをした。
 このころ、大型の台風が3日目にまともに東北地方を直撃する予報となった。2泊目の深夜2時に暴風警報が発令されたので、すぐに別の部屋にいた校長に行程変更を相談した。3日目の予定を全てキャンセルし、台風が来るまでに安比高原のホテルに入り、全員を集めたいと相談した。台風の中をバスで移動することが果たして正しいのかと議論になったが、得体の知れない新型感染症のパンデミックと大型台風接近の緊迫した状況で、36分宿のまま待機させるのは大混乱を招く。ホテルで一度全員集合し全体で行動する必要があるという結論に達したのである。3日目の早朝、分宿している先生方全員に連絡し、予定変更を生徒達へ周知するよう依頼をした。
 3日目の朝、9台のバスでそれぞれの農家の方々と別れを惜しみながら、発熱した生徒はバスの最後列に集め、他の生徒と接触させないようにして、安比高原のホテルに向かった。迫ってくる台風から逃げるようにバスは走る。街路樹が激しく揺れ、時々いろいろな物が飛んできてフロントガラスに当たる状況であったが、今更引き返せない。何とか無事にバスがホテルに到着して、全員の無事を確認したときは本当に全身の力が抜けた。
 ただ、ここからが問題である。帯同していた看護師と養護教諭は発熱した生徒達の部屋を確保し、他に体調不良で訪れる生徒達をトリアージする。熱がなかなか下がらず、体力的に厳しくなった生徒は離脱させ帰宅させる手配をした。数人を2グループに分け引率の先生をそれぞれ1人ずつ付け、大阪で家族に迎えに来てもらう段取りをつけ、いわて花巻空港で飛行機に乗せた。
 最終日は台風も通り過ぎ、午前中は観光に変更し、9台のバスで名所を巡った。生徒達はバスの中でカラオケやゲームを楽しんだり、ドライブインでお土産をしっかり買い込んだりと、最終日の行動を思い思いに楽しんでいた。
 最後に空港で飛行機に乗るというときも、熱が下がらず隔離された生徒達の座席を一か所に固め、その周りを教員達が取り囲むようにして大阪へ向かった。大阪国際空港で解散し、迎えに来ていた教頭を見たとき、引率していた先生の数人は涙ぐんでいた。それだけの緊張感の中で引率業務を終えた安堵感から来たのであろう。
 この修学旅行が終わってしばらくして、生徒達に感想を聞くと、「ものすごくいい経験になった。」という声がほとんどだった。「先生達の指示をしっかり守り、勝手な行動をする生徒もなく、何より無事帰って来られたのが本当に嬉しかった。」「アクティビティができなかったのは残念だったけど、また卒業してからグループで安比に行きたいと思います。」と言ってくれた。
 今でも同窓会で集まると、この修学旅行のことは必ず話題になるのである。

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