コミュニケーションとテクノロジーあれこれ

仲川浩世

更新日:2025年11月10日

いかにも生成AIを取り上げたようなタイトルであるが、そのような内容ではない。専門外のことを取りあげるのは、自分に向いているとは思わない。タイトル上にある、テクノロジーを使用した授業を実施しているのは、事実であるが、「もっとコミュニケーションに重点を」と言いたいところである。

 

とは言っても、AIの導入は、現代社会では不可欠となっている。英語のライティング作成、プレゼンテーション用の資料探し、翻訳、SNS、ブログの執筆まで数えるときりがない。英語教育に特化すれば、文書の英文校閲、文法チェック、教材作成、音声の文字起こしなどが挙げられる。上述したどれも使いこなせば、効率良く授業の準備ができ、時間やエネルギーを短縮できるものばかりである。

 

 にもかかわらず、テクノロジーの利便性とは対照的に、旧式な英語授業作りにも、良さがあったのではないかと思う。英語教員として、駆け出しの頃は、1コマ(90分)の授業を準備するのに、2時間以上もかけ、教材は画用紙、マジックを用いた手作り、リスニングもCDの洋楽を音源として、ディクテーション問題を作成していた。また、オーバーアクションで、実演した英会話の授業では、ロールプレイに取り組ませ、欧米の文化を理解させるということも行っていた。このようなことから、笑いを交えた対話を通して、縦の繋がりではなく、(若かったせいもあるが)その辺にいるお姉さん的?な存在(であると思いたい)となり、教員と学生との信頼関係が生まれていったものである。最終授業の日は、皆でこれまでの成果をねぎらうという、温かい雰囲気で終わったことを今も覚えている。

 

 振り返ってみれば、自分の教員人生の中で、人とのぬくもりが私を支えてきたように思える。その上、以前は、博識な先生方の講義から、時には雑談を交えて、直に学ぶ機会も存在した。しかし、テクノロジーが発達するにつれ、効率化が優先されるようになり、人間関係が希薄になりつつあるのも事実である。むろん、AIが作成したものを見直す技術や知識が必要なことは否定できない。それでもなお、教員と学生との信頼関係が、最優先であると信じたい。それなら今後の英語教員の課題とは、「AIとの共生社会」における「学校の意義」を探索することではないかと思う。

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