新人教師2年目-生活指導部へ

森  均

更新日:2026年3月6日

 大阪府立の工業高校で、期限付き講師として4月1日に教員生活のスタートを切った私は、その年度の採用試験に合格し12月1日付で教諭に採用された。期限付き講師として採用されて教諭となった人の多くは、新規採用教諭として他校に赴任を命じられるケースが多かったので、私も翌年4月には他校へ赴任を命じられるものとばかり思っていた。

 そんな気持ちで臨んだ来年度の分掌所属を決める会議では、案の定、次の4月1日に私が他校に赴任することを前提にして(つまり会議をやり直すことのないように)、私の後任は私が所属する予定の分掌に配属されることを前提に議論は進められた。

 そんなことは気にせず、私は生活指導部を希望した。生活指導部を希望した理由は、先生方が最も活躍している分掌と見えたからである。生徒が何かやらかすたびに出動し対応に当たる。臨時の職員会議では、事案の説明や指導方針が説明されていた。私には学校を支える頼もしい存在と写っていたのである。

 所属分掌を決める会議では、誰も生活指導部への希望者がいなかったので、私の希望どおりにすんなりと決まった。他の教員が生活指導部を避ける理由はわかっていた。それは、いつどこで何が起こるかわからないので日常の業務・生活を計画的にできないからである。

 4月1日。予想に反して、他校に赴任することはなくそのまま現任校に勤務することになった私は、希望どおり生活指導部に所属することになった。生活指導部の他のメンバーはベテランばかりで、そつなく様々な事案に対応していく。ケンカなどは、生徒双方からそれぞれ別の教員が状況を聞き取って、内容の突き合わせを行うので午後8時を回ることもざらであった。生徒だけでなく、保護者にも説明しなければならないし、管理職にも正確な情報を伝えなければならない。また、臨時職員会議においても先生方の疑問に応えることができるようにしておかなければならないが、ベテラン教員達は慣れたものであった。

 私の生活指導部のメインの仕事は、奨学金係だった。様々な奨学金制度の紹介、申請手続き等を行うのである。当時は現在とは違うシステムで、返還しなければならない奨学金の場合、返還手続きを済まさないで卒業してしまう生徒がいた。元担任の教員に頼んで卒業生宅に書類を持って行ってもらい署名・押印してもらうのだが、押印漏れがあったりして、元担任に何度も頭を下げて卒業生宅に行ってもらうこともあった。

 しかし、数名の生徒が関係する事案の場合、私も聞きとりに駆り出される。そして、例えば自宅謹慎や停学の場合は家庭訪問するわけであるが、当該生徒を教えている教員から自宅謹慎の日数分の課題を集め、それを自宅に届けて、できあがった課題を回収し学校に戻って教科担当教員に渡さなければならない。また、その場で反省日誌の記述内容を読んで説諭もしなければならない。家庭訪問では保護者もいるので気を遣った。でも経験の浅い私にとっては、生徒たちの生活環境や保護者の考え方、学校への期待など様々な内容を知ることができ貴重な経験となった。

 事案対応、家庭訪問、奨学金係の仕事等はいずれも私にとって貴重な経験となった訳であるが、生活指導部内での先生方との連携、生活指導部と担任の先生方との連携、問題行動を起こした生徒たちへの対応方法の統一等々挙げればキリがない。それほど濃厚な2年目であった。あっという間に2年目が過ぎようとしていた頃、当時の教務主任が、他の教員が全員帰った職員室で、「来年度は教務部を希望してほしい。」と言ってきたのである。私は、生活指導部を続けたかった。学校の最前線、教育の最前線であると考えていたからである。しかし、来年度は、学級担任になることがはっきりしていたので、担任業務と生活指導部の業務との掛け持ちは経験の浅い私には難しいと考え、計画的に仕事のできる教務部を希望することにした。

教務部では生活指導部とは全く異なる業務を経験することになるのである。一方で、担任業務の中で生活指導部の経験は極めて役に立った。事案対応はもちろんのこと、急に保護者が亡くなった生徒への応急的な奨学金支給申請など挙げればきりがなかった。

教員をめざす方には、公立・私立を問わず採用されれば若い間に生活指導部の業務を経験されることをお勧めする。“世の中の現実”と“教員間の連携の大切さ”を知ることになり、後の教員人生を豊かなものにしてくれると思う。

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